ノーブレス・オブリージュ

ノーブレス・オブリージュ(ノブリス・オブリージュ、noblesse oblige)とは地位に伴う道徳的義務のこと。イギリスなどリベラルアーツの伝統が生きるヨーロッパ社会の基本的倫理観であり「貴族や身分の高い者はそれ相応の社会的責任と義務を負うべきである」とする考え方である。イギリスのエリート教育では、道徳的人格形成のための教育をインディペンデントスクールで受け、またイギリス王室の皇子たちも様々なボランティアに参加するなど、ノーブレス・オブリージュを体現している。日本の武士道にも類似性がみられる。


世界を生きぬく教養の力 リベラルアーツ入門講座」を受講している。ノーブレス・オブリージュについてのの説明があり、ざっくりまとめると上述のようになるだろう。


座右の銘にノーブレス・オブリージュと答える人がいた。高貴な道徳心?みたいな歴史上の言葉だよね、何語なんだろう(フランス語でした)、と思っていたのだがこれで氷解した。貴族が貴族たるために心も高貴でないとダメですよ、とそんな言葉なのだろう。

でもこれが座右の銘だというのは不思議だ。自分は貴族です、地位も名誉もお金もあるけど、心の徳も高いんです、と言っているようなものではないか? 驕っているように聞こえてしまう。いや、そんなことを考える自分に驕りがあるのかもしれない、、、


リベラルアーツ入門講座は会社の制度を利用した通信教育の一環だ。福利厚生も兼ねていて受講料の半分は会社が負担してくれるのだ。通信教育の選択肢として「プログラミング入門」だとか「エクセルの仕事効率化術」だとか「ロジカルシンキング」だとかもあったのだが、いずれもあまりピンとこなかった。いちいち教わらなくても知っているよって感じだし、本屋さんに行って1冊本買えば済むじゃん、と思ってしまう。逆にいちいち選んで受講している人、「自分はまだエクセルもまともに使えてません」と宣言しているようなものではないか。とはいえせっかくの機会なのでなにか受講してみたほうが良いと思い、唯一興味を持ったリベラルアーツ入門講座を受講することにした。

日本史も世界史も苦手である。社会科全般ダメで教養が無いという自覚がある。何冊か歴史の本も買ったことがあるのだが、馴染みのない単語・人物名が多いせいか、流し読みしただけで内容はどれもほとんど覚えていない。鼻息を荒くして買った「日本国紀」も途中まで読んだのだが、結局積ん読してしまっている。

そうはいっても歴史や美術などリベラルアーツを身に着けたいという気持ちだけはあるので、ブラタモリの毎週録画を始めた。前回は「城崎・豊岡」特集だった。初めてブラタモリをちゃんと観たのだが、ちょうど先日城崎温泉に家族旅行に行ったばかりでとても面白かった。と同時に、少しやるせない気持ちにもなった。自分は「雪で寒かった。カニが旨かった」といった感想しか持たなかった城崎温泉だが、実は街のあらゆるところに玄武岩が使われていて、しかも街の地質学的特徴に合わせた適切な使い方がされていて、そのおかげでコウノトリが繁栄していた、んだそうだ。全然気が付かなかった。

教養の無さは世界の狭さだ。来週からもブラタモリを観るようにしよう。通信教育の残りのレポートも提出しなければ。


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