なんの力学も働かない

学生時代、ある企業と共同研究を行っていた。共同研究が始まってしばらくは教授と一緒に打合せに出ていたのだが、半年もすると教授は打合せに着いてこなくなり、プロジェクトもほぼ一人で進めさせてもらえるほど任せてもらっていた。先方との連絡のやり取りも、教授を介さず直接自分のところに来るようになったし、先方と一緒に九州に出張したこともある。たかが終始学生にしてはよくやっていたと思う。

研究が一段落し、また自分も内容を修士論文にまとめたところで、共同研究先の企業が飲み会を企画してくれた。その場には教授もやってきた。飲み会の場では企業の人達から「あなたは優秀だ、学生とは思えない、素晴らしい人材だ」などとべた褒めしてもらえたのを覚えている。ただ、教授だけは僕のことを「彼は言われたことはよくやってくれる。ただそこになんの力学も働かない」と評価したのだった。もちろん直接聞いたわけではなくてそう話しているのを耳にしただけだ。

今になって振り返ってみると教授の気持ちはよく分かる。研究内容について教授と議論するときは、いつも教授が先導してくれていたので、教授の言われたとおりにやれば良いだけだった。反論したことなどほとんどなかった。それを教授は「力学が働かない」と表現したのだろう。


入社して会社員になってからはどうだろう。少なくとも上司や同僚との間に何かしらの力学を働かせることができるようになったはずだ。でもそれは自分が成長したからではないと思う。


当時の教授は自分と比べて圧倒的に思考の量が違った。研究テーマについて四六時中考えていただろうし、また論文や書籍など、思考の下支えとなる情報もめちゃくちゃインプットしていただろう。その上で、僕と話すときは教授の中では100考えたうちの1を選んでいただけなのだろうから、僕はよくよく納得してしまうし、そこに反論の余地も生まれなかっただけなのだ。

今の自分が仕事で力学を働かせていられるのは、自分や周りの同僚たちが、教授に比べて全然“思考していない”ということなのだろう。そう考えると自分も同僚たちも、小さいニュートンで満足することなく、もっと思考していかなければ。


上司の結婚祝いにカタログギフトを贈りたいという話を部長にしたら「カタログにのっている商品には特に良い印象がない。本人に欲しい物を聞いてみてはどうか」と言われた。確かにその通りだよなと思ったので、早速上司に「お祝いしたいので欲しい物を言ってください」と伝えた。

これも、部長に対して力学を働かせられなかったということだ。プレゼント選びの思考量がまだまだ足りなかったのだった。


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